エイゼンシュテインとスターリン時代(3)

エイゼンシュテインとスターリン時代(2)の続き。

 

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30年代にスターリン体制が強化されると、歴史上の英雄の再評価が始まります。革命の時代が過ぎ去って共産党国家主義に舵を切ると、それまで否定されていたロシアの支配者たちを、国家統一のシンボルとして利用するようになりました。そのため、映画や小説などに愛国的な歴史物が増えていきます。

失敗続きのエイゼンシュテインは、起死回生の一発としてこのジャンルに手を伸ばしました。

アレクサンドル・ネフスキー(1938年)

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エイゼンシュテイン初のトーキー映画。中世ロシアの英雄の戦いを題材にした娯楽大作です。東からはモンゴル、西からは北方十字軍に攻められる中、アレクサンドル・ネフスキーが「氷上の戦い」でドイツ騎士団を打ち破りロシアを守ります。

氷上の戦いのシーンは30分以上続きますが、全く飽きさせない力量はさすがです。でも、プロコフィエフの音楽は軽快すぎて運動会に見えてしまいます。まあ、日本人だからそう思うのかもしれませんが。
赤ん坊を火に投げ入れるなど残虐行為をするドイツ騎士団の悪役ぶり、倒した敵に情けをかけるアレクサンドル・ネフスキーの善玉感など、とてもわかりやすい勧善懲悪物です。

エイゼンシュテインのこれまでの映画とは、完全にスタイルが変わっています。素人起用をやめて、きちんと演技ができる役者を使い、それまでのドキュメンタリータッチの映像が、絵画的な造形美に変化しています。そして、わかりにくい実験的なモンタージュは封印されています。

この映画が製作された頃は第二次世界大戦直前で、ドイツや日本との間の緊張が高まっている時期でした。なので、ドイツ騎士団ナチスドイツ、モンゴルは日本という非常にわかりやすい暗喩になっています。
誰にでも楽しめる娯楽作品であり、当時の時代状況も反映しているとなれば、売れないわけがありません。公開されると大評判となり、スターリン賞を受賞しました。エイゼンシュテインは再び時の人となります。粛清される心配がなくなって一安心ですね。

しかし翌年、独ソ不可侵条約が締結され、反ドイツ的なこの映画は上映禁止となってしまいました。1941年にドイツがソ連に侵攻すると、一転して繰り返し上映され、戦意高揚に利用さています。

そして、スターリンの信頼を勝ち得たエイゼンシュテインに、イワン雷帝の映画の話が持ち掛けられます。

イワン雷帝 第1部(1944年)

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ロシアの初代ツァーリであり、史上最悪の暴君と言われたイワン4世は、絶対君主制の元に、貴族の専横を排して官僚制度による支配体制を築きました。徹底した恐怖政治を行い、残忍な性格で容赦のない虐殺や粛清を行なったことから「雷帝」と恐れられました。

エイゼンシュテインに求められたのは、スターリニズムを肯定する映画を作ることでした。そのためには、イワン雷帝は恐ろしげな暴君の姿そのままに描かれ、冷酷な統治が最終的にはロシアの安定に貢献する、という展開になることが必要でした。その結果、なんとも異様な映画が誕生しました。

エイゼンシュテインはまるで時代に逆行したかのように、様式美にあふれた耽美的な映像に仕立てました。「カリガリ博士」に代表されるドイツ表現主義、歌舞伎、京劇、オペラ、ミュージカル、古今東西のあらゆる様式的な芸術をまとめ上げて、奇怪な世界を作り上げています。そして、イワン雷帝役のニコライ・チェルカーソフの存在感。豪華絢爛で過剰な映像美の中にあっても、決して負けていません。プロコフィエフの音楽も素晴らしいです。そして、ティッセの大胆な構図。映画を構成する全ての要素がエイゼンシュテインによってモンタージュされ、完璧に調和しています。芸術不毛の時代に生まれた最高の芸術映画。第2部と合わせて至高の3時間です。

映画は絶賛され、再びスターリン賞を受賞しました。しかし、次の第2部は批判されます。エイゼンシュテインは3部構成で映画を考えていましたが、第3部は作られることがなく、この映画は未完に終わりました。

イワン雷帝 第2部(1958年)

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第1部以上のドロドロした宮廷ドラマで、忠臣の裏切りや貴族の粛清、暗殺の陰謀、親衛隊(オプリーチニキ)の暗躍を描いています。しかし、スターリンの不興を買ってしまい公開されませんでした。ようやく上映されたのはスターリンの死後、フルシチョフによるスターリン批判の後になります。

エイゼンシュテインが映画の中にスターリン批判を込めたためにスターリンの怒りを買ったのだという神話が存在しますが、これは事実と違います。
事態を打開するためにエイゼンシュテインと主演のチェルカーソフは、スターリンモロトフ、ジダーノフと会談を行います。党指導部の公式見解として指摘された問題点は、イワン雷帝をハムレット型の優柔不断な人間として描いたことと、オプリーチニキをKKKのような集団として描いたことの2点でした。そして、スターリンの個人的意見として、雷帝を冷酷に描くことは何の問題もないこと、その正当な理由がはっきり描かれている必要があることを告げられます。スターリン自身がイワン雷帝を自分に重ね合わせて見ており、粛清の正当化をせよと言っているわけです。粛清を描くことがソ連の内実の暴露になるのではないかという懸念は、スターリンにはありませんでした。

批判の主な原因は3部構成にしたことにありました。転換点にあたる第2部では人格形成がテーマになって展開が緩慢になることや、問題の解決が先送りになることは構成上よくあることです。しかし、スターリンは映画として不完全だと考えたのでした。
エイゼンシュテインは第2部を短縮してリヴォニア戦争のシーンを追加するという、具体的な改定案を申し出ます。そしてそれが了承され、映画を作り直すことになりました。

しかし、結局エイゼンシュテインは改作できませんでした。スターリンとの会談の1年後の1948年2月、心臓発作でこの世を去ります。スターリンの死の5年前のことでした。

1958年になって、ようやく第2部は改作されることなく公開されました。この世紀の大傑作は奇跡的に守られ、検閲の時代を生き延びました。

そして、ソ連映画界は「雪解け」の時代を迎え、芸術性の高い作品が作られるようになっていきます。

 

スターリンとイヴァン雷帝―スターリン時代のロシアにおけるイヴァン雷帝崇拝

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セルゲイ・エイゼンシュテインDVD-BOX

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