愛しい映画「エル・スール」

エル・スール El Sur

  • 1983年公開 スペイン映画
  • 監督 ビクトル・エリセ
  • 出演 オメロ・アントヌッティ / ソンソレス・アラングーレン

真っ暗な背景とともに始まるオープニングクレジット。その暗い画面に少しずつ何かが映し出される。次第にそれが、窓から朝日が差し込みつつある室内の風景だとわかる。陽の光はだんだん部屋の全容を明らかにし、ベッドに眠る少女を浮かび上がらせていく。
この息を呑むように美しいオープニングから目が釘付けになります。光を自在に操る映像の魔術師、ビクトル・エリセの匠の技が快感です。

少女エストレーリャの目に映る優しい父親アウグスティンと、彼の背後に広がる暗く重い歴史の物語。この映画を理解するには、スペインの歴史を知らないとなりません。

1936年の総選挙によって社会主義のスペイン共和国が誕生します。それに対して、陸軍のフランコ将軍がクーデターを起こし、内戦へと発展して行きます。左翼や労働者などが共和国側となり、資本家や教会、地主などの保守派が反乱軍を支援しました。ソ連が共和派、ドイツとイタリアが反乱軍を支援するようになると、第二次大戦の前哨戦の様相を呈してきます。
政治思想の違いから、家族が敵同士となって戦うという悲劇も起こります。この作品のアウグスティンと彼の父親もそうでした。共和派のアウグスティンと保守派の父親が敵対します。
内戦はフランコ将軍率いる反乱軍の勝利に終わり、フランコの独裁政権が誕生します。大規模な内戦により国力が疲弊していたため、ドイツの再三の要請にもかかわらず、フランコはついに第二次大戦に参加しませんでした。そのため、フランコ政権は1975年の彼の死まで続くことになります。
前作の「ミツバチのささやき」はフランコ政権下で作られた映画です。その中でささやかに政権批判がされていましたが、今作はより深みを持って、戦争に傷ついた人の悲劇として演出されています。

以上はこの映画の外側の部分の話です。映画の中では見えません。日常生活の外側に大きな世界が広がっている、という構造をエリセは好んで使いました。「マルメロの陽光」はより象徴的で、庭のマルメロの木の美しい瞬間を活写しようと苦闘する芸術家の話であり、彼の視界に入らない外側の世界は雑音のように描かれています。
この映画は「南」というタイトルですが、舞台は雪の降る北方の地です。南にはアウグスティンの出身地があり、娘のエストレーリャにとってはミステリアスな外側の世界です。アウグスティンの昔の恋人ラウラも同様で、日常を侵食する外界の存在として機能しています。エストレーリャは父親を通して、外側の世界を見つめていきます。

エストレーリャにとってアウグスティンは子煩悩な優しい父親ですが、しばしば不思議な行動をして娘を悩ませます。エストレーリャの聖体拝受の日に、アウグスティンは裏山で猟銃をぶっ放します。親族は彼の奇行に慣れたもので気にもとめませんが、エストレーリャには意味がわかりません。
実は、アウグスティンにとって教会は敵です。共和派の彼にとって教会は憎むべき保守派なのです。銃を撃つことが彼にとっての精一杯の抵抗なのでした。
それでも彼は、娘を祝福するために教会へやってきます。エストレーリャは父親がなぜ教会に来れないのかを知りませんが、何か事情があるらしいことは察しています。その父親が、意志を曲げて来てくれたことを心から喜びます。アウグスティンにとっては、娘のことが最優先事項なのでした。

アウグスティンは心の弱い傷つきやすい人間です。思春期の不良少年のような一面を持っています。娘に対してはいつも笑顔を振りまいていますが、エストレーリャは父親を見つめているうちに、次第にそのことに気づいていきます。

アウグスティンがエストレーリャを誘ってレストランで二人で食事をするシーンは、会話の一つ一つがとても素晴らしいです。二人の歴史と思いやりを感じさせるやりとりが味わい深いです。
しかしエストレーリャは失言をします。父親の昔の恋人の名前を出してしまいます。決して非難するためではなく、父親のことをもっと知りたいという好奇心からの発言なのですが、これが全てを台無しにしてしまいます。

この映画には続きの予定がありました。エストレーリャが南へ行って、父親の過去を探る物語です。しかし、製作上の都合により作られることはありませんでした。「南」は永遠の謎としてそのまま残されました。途中で終わってしまったことが、却ってこの映画を魅力的に見せています。

 

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